第4回　黄泉の国と禊 ― 三貴子の誕生

最愛の妻・イザナミを失ったイザナギは、その死を受け入れることができませんでした。
深い悲しみの中で彼は、あろうことか死者の国・黄泉（よみ）へと足を踏み入れます。
亡き妻にもう一度会い、連れ帰ろうとしたのです。

この章では、死の国での衝撃的な出来事と、それに続く禊（みそぎ）、そして新たな神々の誕生までをたどります。

黄泉の国

黄泉の国でイザナミに再会したイザナギは、閉ざされた扉越しに声をかけます。

イザナギ：「最愛の妻よ、私とあなたが共に創ったこの国は、まだ完成していない。だから、どうか帰ってきてくれ」

これに対しイザナミは、

イザナミ：「残念なことです。私はすでに黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。でも、あなたが来てくださったことは嬉しい。黄泉の神と相談してみます。その間、けっして私の姿を見ないでください。」

このように告げます。

そう言ってイザナミが殿の奥へ戻ってから、非常に長い間、待ち続けましたが、ついに耐えきれなくなったイザナギは、左の髪に挿していた櫛（くし）の歯を一本取り、火を灯して覗いてしまいます。


そこにあったのは、腐敗し蛆がわいた亡き妻の姿――


そして、
蛆がたかった頭には大雷神（おおいかずち）、
胸には火雷神（ほのいかずち）、
腹には黒雷神（くろいかずち）、
陰部に析雷神（さきいかずち）、
左手に若雷神（わかいかずち）、
右手に土雷神（つちいかずち）、
左足に鳴雷神（なりいかずち）、
右足に伏雷神（ふしいかずち）、
合わせて八柱の雷神「八雷神（やくさのいかずちがみ）」が成っていました。


イザナギは恐れおののき逃げ帰ろうとしますが、
そのときイザナミは、

イザナミ：「わたしに恥をかかせましたね」

と言い、ヨモツシコメ（予母都志許売、黄泉醜女）を遣わせて彼を追わせました。

イザナギは逃げながら、身につけていた黒御鬘（くろみかづら：髪飾り）を投げ捨てるとそれは山葡萄（やまぶどう）となりました。

醜女がそれを拾って食べる間に逃れますが、しかしまだ追ってきます。

今度は右の髪に挿していた神聖な櫛（くし）の歯を折って投げると、それが筍（たけのこ）になり、醜女がそれを拾って食べている隙に再び逃げます。


すると、イザナミは八雷神を率いて、さらに千五百の黄泉の大軍とともにイザナギを追撃しました。

イザナギは腰に帯びていた十拳剣（とつかつるぎ）を抜いて振り回しながら逃げ、とうとう黄泉比良坂（よもつひらさか：現世との境目）の坂下までたどり着きます。

そこに生えていた桃の木から実を三つ取って投げつけると、追手はことごとく逃げ帰りました。


そして、イザナギは桃に言いました。

イザナギ：「あなたは私を助けてくれたように、葦原中国（あしはらのなかつくに）にいるすべての生きとし生けるものが、危難に遭った時には、どうか彼らを守ってほしい。」

そうして、桃には「意富加牟豆美命（おおかむづみのみこと）」という尊い名を与えたのです。


最後にイザナミ自身が迫ってくる中、イザナギは千人で引かなければ動かせないような重い岩石（千引きの石：ちびきのいわ）を引いて坂道を塞ぎました。

イザナギとイザナミはその岩を挟んで向き合い、決別の言葉を交わします。

イザナミ：「愛しい我が夫よ、それならば、私はあなたの国の人を一日に千人絞め殺します。」

これに対しイザナギは応じました。

イザナギ：「愛しい我が妻よ、もしあなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋（うぶや）を建てます。」

このやりとりによって、この国では「一日千人が死に、一日千五百人が生まれる」という天命が定まったとも伝えられています。

そして、イザナミは「黄泉津大神（よもつおおかみ）」と呼ばれるようになりました。
また、自ら追ってきたことから、「道敷大神（ちしきのおおかみ）」ともいわれます。


黄泉の坂道を塞いだ大岩は、「道反大神（ちかえしのおおかみ）」や「黄泉戸大神（よみどのおおかみ）」と呼ばれます。

古事記には、黄泉比良坂は出雲国の伊賦夜坂（いふやさか）であると記されています。

禊祓（みそぎはらえ）と三貴士

黄泉の国で妻イザナミとの悲劇的な再会を果たしたイザナギは、死の国の気配をまとったまま現世に戻ります。

自らが「穢れ（けがれ）」に触れたことを強く感じたイザナギは、清めの行為を行わねばならないと決意しました。

彼が向かったのは、
『筑紫（つくし）の日向（ひむか）の橘（たちばな）の小門（おど）の阿波岐原（あはきはら）』

これは、「九州地方の日向にある橘の木のある小さな入り江で、禊ぎを行うための浜辺」
と解釈されます。


ここでイザナギはその身についた穢れを払うために「禊（みそぎ）」を行います。

イザナギが身につけていた物を脱ぎ捨てると、その一つひとつから神が生まれました。

• 杖
• 帯
• 袋
• 衣
• 袴
• 冠
• 左の腕輪
• 右の腕輪

※神々の名称は省略。

そして、イザナギが身を水で洗い清めたとき、最初に生まれたのは「穢れ」から成る神々でした。

• 大禍津日神（おおまがつひのかみ）
• 八十禍津日神（やそまがつひのかみ）

これらは「災厄・禍（まが）」を象徴する神で、人間世界に災いや乱れをもたらす存在です。


禍が生まれると、今度はそれを祓い正す神々が続いて誕生します。

• 神直毘神（かむなおびのかみ）
• 大直毘神（おおなおびのかみ）
• 伊豆能売神（いずのめのかみ）

これらの神々は、災厄を「直す」「正す」働きを司り、人の罪や穢れを浄化する力を持つとされます。


さらに、イザナギが川に身を沈めたとき、海を司る神々が現れます。

• 底津綿津見神（そこつわたつみのかみ）
• 中津綿津見神（なかつわたつみのかみ）
• 上津綿津見神（うわつわたつみのかみ）

この三神は海の「底・中・上」をそれぞれ司る存在で、総称して 綿津見三神（わたつみさんしん） と呼ばれます。


また、同じく川に身をひたした際に、航海を守護する神々も生まれました。

• 底筒男命（そこつつのおのみこと）
• 中筒男命（なかつつのおのみこと）
• 上筒男命（うわつつのおのみこと）

こちらは「住吉三神（すみよしさんしん）」と呼ばれ、大阪の住吉大社をはじめ全国の住吉神社の祭神として今も広く信仰されています。

禊の最後にイザナギが顔を清めたとき、三柱の特別な神が生まれました。

• 左の目を洗ったときに生まれたのが、
  天照大御神（あまてらすおおみかみ）
  太陽を司る女神で、皇室の祖神とされます。
  
  
• 右の目を洗ったときに生まれたのが、
  月読命（つくよみのみこと）
  月を司る神。
  
  
• 鼻を洗ったときに生まれたのが、
  建速須佐之男命（たけはやすさのおのみこと）
  荒々しく力強い性質を持つ神。

この三柱は、後に「三貴子（さんきし）」と呼ばれ、
高天原（たかあまのはら）、夜の世界、海原というそれぞれの領域を司る、重要な神々となっていきます。

今回のまとめ

イザナギの禊ぎは、災いやそれを祓う神々、さらに海や航海を守る神々を生み出す大きな転機となりました。
そして最後に、天照大神、月読命、須佐之男命という三貴子が現れます。

死の穢れを祓う行為が、新しい秩序と世界を照らす力を生む――ここに神話の重要な節目が示されています。

次回からは、三貴子をめぐる物語によって、神々の世界は新たな局面へと進んでいきます。

どうぞお楽しみに！